【3】黄表紙とは(その2) (3)内容‥‥現在でいうところの漫画の単行本をイメージしていただければ近いと 思います。たいていは、くだらないというか、しようもないものです。「文学」とい うよりは「文芸」、カルチャーに対するサブカルチャーです。間違っても、人生につ いて考えさせられるとかいうものではない。概して、以下のような特徴が挙げられま す。 ●画文混淆:絵と文が、有機的に絡まりあってひとつの世界を作り上げる、という 意味です。つまりどちらも重要な役割をしていて、黄表紙の絵は決して現代の小説の 挿し絵と同じではない、ということです。 ●ナンセンス:くだらないなー、馬鹿だなーということですね。例えば、『親敵討 腹鼓(おやのかたきうつやはらつゞみ)』という作品の中に、うさぎさんが登場する 。このうさぎさんが、刀で切られてしまい、2羽の鳥になって飛んでゆく、というん です(図6)。身体の上の部分が鵜、下の部分が鷺になる。「うさぎ」が上と下にわ かれて、「う」と「さぎ」だ、というんですね。力が抜けてきます。 ●パロディ:元ネタとして、当時の政治をパロディ化することもありましたが、政 治ネタはお咎めをくらう可能性があり、危ないです。絶版・回収は当然、作者は手錠 をかけられて50日謹慎処分とか、江戸追放、出版社も財産没収などといった憂き目 に遭うこともありました。黄表紙の創始者の春町は悪いことに武士でしたから、武士 のくせにお上をおちょくるとはけしからん、ということで問題になり、江戸から引き 払った後、すぐに死にました。死因は病気ということになっていますが、藩とか家に 被害が及ばないように自殺した、というウワサもあります。殺されたのかもしれませ ん。ですから、政治ネタは禁じ手でして、江戸の町の世相、それから漢文の固い文章 、和歌、能や歌舞伎といったお芝居の設定・場面、などが普通でしょうか。 ●洒落:2重の意味で「洒落」です。ひとつには、お洒落の「洒落」。特に初期に は「粋」の意味あいが強く、これは、先ほど見たように洒落本の影響なのですが、最 新流行モード、登場人物が流行りモノを身に付けていたり、吉原の粋な男女の姿を描 いていたりします。先ほど見ていただいた金々先生の服装(図5)、あれなども当時 の最先端モードです。もうひとつの洒落は、駄ジャレの「洒落」です。これは先ほど 「う」と「さぎ」になってしまったうさぎさんが飛んでいった先です(図7)。この 2羽の鳥がどこへ飛んでいったかというと、いま、変なポーズをとっている女の人が いますが、この人は、うさぎさんが生前世話になった料理屋のおかみさんです。で、 「う」と「さぎ」とが店の軒に止まって、口からげろげろ何かを吐いている。これ、 鰻です。それで、文章の方では、この鰻を使った蒲焼きが人気になって、それを「反 吐(へど)前鰻の蒲焼き」といい、それがなまって「江戸前鰻の蒲焼き」になった、 というこじつけをしています。反吐前と江戸前、駄ジャレです。能や歌舞伎といった お芝居の文句とか流行歌・童謡、ことわざ、あと、パロディとも関わりますが漢文の 固い文章、和歌なんかも、駄ジャレで遊ばれてしまいます。元ネタがわからないと面 白くないわけで、こういうものの読み解きは、実は結構きついものがあります。しか も、どこからでもひっぱってきますから、かなりの知識が必要です。 ●穿ち:穴を開ける、という意味の「穿つ」という動詞からきた言葉で、まるで穴 をあけて覗くように、普通気づかない世の中の裏の事情を暴くとか、人情の機微とい った微妙な点をうまく表現するということです。 ●風刺:先ほども述べたように、政治的なものはヤバイです。市民生活の風刺程度 が普通です。時事ネタというのは、例えば、天明3年(1783)に、長野と群馬の あたりの浅間山の噴火がありました。死者推定2000人、江戸の町にも灰が飛んで きたといわれるほどの大噴火でした。しかも、その噴火の影響で冷害が起こり、餓死 者は出るは、一揆・打ち壊しは起こるはで、大変な事態になってしまったのですが、 こんな深刻な噴火という災害も黄表紙では、それに当て込んで、灰のように小判が降 り注ぐ、というような場面が描かれたりするわけです(図8)。まあ、不謹慎といえ ば不謹慎なのですが。 ●地方文芸:黄表紙は江戸で生まれ、江戸を描いた文芸ですから、江戸という地方 に限定的なもの、ということです。そもそも、内輪ウケは狙っても、全国的に通用す ることを目的としてはいませんので、地方の人が読んでわからなくても構いません。 また、江戸土産として地方にもたくさん流出していますが、これを読む地方の人も、 「あー、江戸ではいまこんなもんが流行ってるんだー」とか、「ウワサにきく吉原っ ていうところは、こんなとこなんだー」というような読み方をしていたようです。 ●表現重視の文芸:黄表紙というのは、同じようなテーマを複数の作家が競い合う ような一面があって、同じような筋運びで、如何に新しい表現の工夫が盛り込めるか が、その作品がヒットするかどうかのわかれ目でした。こうした表現の工夫のことを 、「趣向」といいます。 ●めでたしめでたしの結末:作中に何か事件が起こっても、結末はとりあえず悲劇 には終わらない、ということです。これは、黄表紙の発刊が年中いつでも行われたわ けではなく、たいてい正月新板といって、お正月にいっせいに新作が刊行されたとい うことも背景にはあります。ちなみに、黄表紙1部の値段は通常8文程度、袋入りと いう愛蔵版みたいなもので32文です。そば1杯の値段が当時16文ですから、さほ ど高価なものではありません。江戸時代の貨幣価値を現在に置き換えるのは、いろい ろな事情で難しいのですが、1部二〜三百円くらいになるのではないでしょうか。