天気予報を見ながら朝食をとっていると、羽田空港からも富士山が綺麗に見えていた映像に刺激され、全駅から富士山が望めるキャッチフレーズの「岳南電車」を思い出してしまったのです。
思い立ったが吉日、弟子の古麻呂を引き連れて静岡の「岳南電車」を求めて旅立ったのでした。
とりあえず新幹線で三島まで行きたくて切符を買おうと自販機に行くと、東京駅まで乗って来た切符かスイカを入れろとのメッセージが・・・。あほまろはiPhoneに入れたスイカ(アップルペイ)を使って来たので、自販機では受け付けてくれないのです。仕方無く、窓口に並んで購入。何でiPhoneスイカが使えないのか係員に訪ねると、それはJR東日本に聞いてくれとのことでしたすよ。
会社が違っても、それくらい連携しても良いんじゃ無いかと怒鳴りたい気持ちだったよ。突っ慳貪で教育のなっていない社員ばっかりのJR東海を儲けさせるのは嫌だけど、乗らなきゃ行けないのが辛いぜ・・・。

小田原の手前までは、富士山がこんな綺麗に見えていたというのに、

三島駅に着いた途端、富士山は雲に隠れて見えなくなってしまいましたよ。

それでも、東海道線に乗り換え沼津駅で15分停車、この辺の名物の桜海老蕎麦をでもべようとしたら、今年は桜海老が不作なので、メニューに無くなっていたので諦めた。

ぬまず喰わずで電車は出発。

JR東海の列車は窓が汚いこと甚しい。全くもって嫌いな鉄道会社だよな。

吉原駅到着しても富士山は隠れたままでした。岳南電車の乗り換えが全く解らず、一旦駅の外に出されてしまったよ。

そかし、駅を出されたおかげで、富士市のマンホールが見られたので由としよう。

「岳南電車」吉原駅。やはり連絡通路は有ったのですね。でも、案内に全く気付かなかったよ、JR東海はよっぽど他社線が嫌いなのか、わざと目立たないように設置しているのかな。だから、だから、JR東海が益々嫌いになるのだ。

かつての「岳南鉄道」、かつては製紙工場から新聞雑誌用紙や輪転機用ロール紙輸送等で栄えていた鉄道でしたが、平成24年JR貨物も合理化以降の貨物て輸送が休止され、経営が苦しくなって地元富士市の公的支援を受け、平成25年「岳南鉄道」から子会社の「岳南電車」に経営が移管されたのです。

「岳南電車」は、元京王電鉄3000系の岳南鉄道8000形電車(2両の固定編成)、元京王電鉄3000系の岳南鉄道7000形が1両で運行しております。そして、訪れた翌日(11月17日)より、元京王5000系が8000形電車(2両の固定編成)として運行するのです。
明日はきっと、乗り鉄・撮り鉄で混雑することでしょう。でも、このニュースはここに来るまで知りませんでした。新型と言っても、かなりのお古なので話題性は少ないのかも。
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岳南電車 新型車両 9000形11月17日(土)から営業運転を開始いたします。
-9000形試乗会-
各便定員先着80名、座席整理券を1日フリー乗車券購入者に限り
吉原駅で当日9:00より配布します。
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岳南電車は今年6月9日で70周年、記念硬券セットも350枚限定発売されましたが、まだ売られているということは、500枚限定の9000形フリー切符も売りきれることなんか無いのに、前日には売ってくれませんでした。

岳南電車7000形電車が入ってきました。

この電車、とっても懐かしいと思いませんか。井の頭線で使われていた京王3000系車両ですよ。京王電鉄時代の中間車両を京王重機整備で両運転台化されたのですが、井の頭線時代に存在した行先表示器はありません。

そんなワケで、運転席も簡素化されておりました。

平日の乗客は、これでも結構多い方だよと乗客のおばちゃんが教えてくれました。

季節によってラッピングが変わるようで、この時期はクリスマス仕様になっておりました。

吉原の次はジャスコ前と思って、よく見るとジヤトコ前。ジヤトコとは、日産自動車グループの自動車部品メーカーで、旧駅名は日産前だったそうです。

国道1号線のバイパスをくぐると正面が富士山ですが、まだ見えておりません。

岳南富士岡駅に「試運転」の電車発見。運転手さんが、これが明日から運行する新車(?)8000形電車ですよと教えてくれました。

岳南富士岡駅を出ると、ようやく富士山のてっぺんだけが見えてきましたよ。

これは期待が持てそうなので、食事をしながら待つことにしたのですが、終点の江尾駅付近には食堂は無いとのこと。

運転手さんは、一つ戻った神谷駅のおそば屋さんを教えてくれました。

岳南電車の運転手さんは、とっても親切な方でした。

ほとんどのに駅付近は貨物線時代の側線跡が残っておりました。

岳南富士岡駅に 停車中の7003号機。

電車は約5分で折り返し吉原行となります。

乗客は我々の他、発車間際に乗って来た方だけでした。

運転手さんに教えて頂いたのは、神谷駅から歩いて5分ほどの民家のようなお蕎麦屋さん。

残念なのが肝心のお蕎麦よりも、天麩羅が美味しかったってこと。そんな感じのお店だけど、久しぶりに富士山待ちを祈りながら頂きました。

ニャロメに睨まれた。

待てば陸路の日和り有り。嬉しいことに雲がどんどん抜けて行く。

お蕎麦を食べ終え、神谷駅で待っていると先ほどの電車が吉原駅を折り返して来ました。同じ運転手さんでしたよ。

お蕎麦はいかがでしたかと問われましたが、本当のことは言えず、それなりにと答えておきましたよ。

もう一度岳南江尾駅を折り返し、ようやく富士山の全体像が見えて来たので、機関車がいっぱい停まっていた岳南富士岡駅で降りることにしました。

運転手さんとは岳南富士岡駅でお別れでした。

でも、この様子じゃまたお逢いするかも知れませんね。

ここには、かつて製紙工場から新聞雑誌用紙等を輸送していた機関車が並んでいるのです。
それらに交じって7002号機が停まってますが足回りが錆びているので、もしかしてこれも廃車なのか知れませんね。

富士山はもう少しなので、ホームを降りて機関車を観察してみました。



ED29形電気機関車は、旧豊川鉄道デキ52形電気機関車で、戦後の形式称号規定改訂に際してED29形(初代)と改番されました。

このED291は、貨物列車の牽引や比奈駅での入換用として使用され、平成27年3月31日付で廃車されたばっかりで、程度が良いのでまだ動くのかも知れませんよ。

こちらは、上田温泉電軌デロ300形電気機関車で、上田温泉電軌(現・上田電鉄)が昭和3年に新製した電気機関車。後年、名古屋鉄道に渡りデキ500形と改称、さらに岳南鉄道へ譲渡されてからは、ED50形と三度改称された機関車なのです。

比奈駅の入換作業に使われていたそうです。

ED40形電気機関車は、松本電気鉄道(現・アルピコ交通)が昭和40年に新製した電気機関車で、後年岳南鉄道へ譲渡され、現在は岳南電車ED40形 (2代)となっています。
ここには色違いで2機並んで駐機しておりました。

赤塗装機のボディED403号機には、「NIPPON DAISHOWA PAPERBOARD YOSHINAGA」の文字が。

機関車を見ている間に、富士山も見えてきました。

今回の目的は、富士山と列車のコラボを楽しみに来たのでしたが、まさか廃車とのコラボになるとは思っても居ませんでしたよ。

それでも見せて頂けたことに感謝いたしましょう。

富士山が見えているうちに、当初の目的だった「左富士」付近に移動しなくちゃいけませんね、

吉原行の電車を待っていると、2両の固定編成8000形電車が通過。

ヘッドマークは「かぐや富士」でした。

そこに「試運転」の9000形がやって来ました。

明日から登場するぴかぴかの新車ですが、昭和38〜44年に京王電鉄が製造し、

平成5〜平成8年まで富士急行で走っていたうちの1206-1306編成が岳南電車に譲渡された車両を整備したのであります。

新たな塗装と、張り替えられた室内を蜜路、40年以上経っているとは思えませんでしたよ。

地元の方々も新車の登場を喜んで、運転手さんと会話中。

8000形「かぐや富士」岳南江尾より戻ってきました。

平日のこの時間に2両の固定編成はもったいないようですね。

乗客は我々を含めて6名のみでした。

これで富士山が見えている間にジヤトコ前に着けそうです。

吉原本町駅で先ほどの運転手さんが我々に手を振ってくれましたよ。

ジヤトコ前 駅で降りて、左富士付近まで歩くことにしましたが、思ったより長い距離でした。

それもそのはず、岳南電車で一番長い2.5qの区間でしたが、歩きましたよ。左富士にて、右富士とはこれ如何に。

新幹線と国道一号線のバイパスを通過する7001号機。またお逢いしたいですね。

帰りは、吉原駅より、久しぶりの丹那トンネルを抜けて熱海まで。

静岡県には僅か5時間弱の滞在でしたが、岳南電車旅ありがとう。今度は夜間運転にも乗ってみたいですね。

あちらが今、通って来た丹那トンネルの入り口です。

熱海より東海道線「快速アクティー」にて上野まで戻ってまいりました。帰りはグリン車。

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