今日は、俳人・小説家・劇作家として知られる 久保田万太郎 の忌日でございます。
万太郎は、東京都台東区雷門の生まれ。実は、あほまろの事務所のお隣がその生家跡で、いまもその業績を讃える石碑が静かに建っております。毎朝のようにその前を通り過ぎながら、あほまろは時折、「この場所から、あの浅草を書いた男が歩き出したのか」と、つい立ち止まってしまうのでございますよ。
万太郎の著書『浅草風土記』は、単なる街の記録ではありません。あれは、“浅草という空気”そのものを書き留めた、不思議な本なのです。
昭和30年代――。戦後の焼け跡の匂いがまだ街角に残り、人々がようやく笑い方を思い出し始めた時代。浅草寺の朝靄、六区のざわめき、酔客の千鳥足、芸人たちの見栄と哀愁、そして、どこか胡散臭いのに憎めない人々の息づかいまで、万太郎は実に見事に書き残しておりました。 読んでいると、文字なのに煙草の匂いが漂ってくるようなのです。
あほまろが高校時代に『浅草風土記』を熟読したのも、今にして思えば運命の始まりだったのかもしれませんね。北の北海道で本を読みながら、「世の中には、こんな街が本当に存在するのか」と胸を躍らせていた少年が、やがて浅草に憧れ、ついには上京してしまったのでございます。
そして、上京して最初のアルバイトが、浅草六区のストリップ劇場「フランス座」の呼び込みでございましたよ。
いまの若い方に「呼び込み」と言っても、なかなか想像できないかもしれませんね。スマホ片手にAIが宣伝文句を考える時代に、昔は人間が自分の声ひとつで客を呼び込んでいたのです。
「さあさあ、夢の世界はこちらですよ」
「今夜だけは現実を忘れてくださいな」
そんな調子で、酔客やサラリーマンを相手に声を張り上げていたのでした。
当時の六区界隈には、芸人、流れ者、職人、旅芸人、学生、ヤクザ、詩人崩れ、訳ありの男女まで、ありとあらゆる人生が渦巻いておりました。誰もが少し傷を抱え、それでも笑いながら生きていた時代だったのでしょうね。
呼び込みという仕事は、単に客を集めるだけではありませんでした。浅草の街そのものの情熱を声に乗せていたのでございます。
ですから、万太郎が描いた浅草と、あほまろが立っていた昭和の浅草は、まるで地続きのように感じられていたのでした。
いまの浅草は、世界中から訪れる観光客で賑わい、境内は綺麗に整備され、人工芝まで敷かれる時代となりました。便利で安全になった反面、昔の猥雑さや人間臭さは、ずいぶん薄れてしまいましたね。
それでも、早朝の浅草寺を歩いておりますと、ふとした瞬間に“昔の浅草”が顔を出すことがあるのですよ。
香炉の煙の向こう。
まだシャッターの閉まった仲見世。
始発前の銀座線入口。
酔い覚めのような朝の風。
そんな景色の中に立っていると、「ああ、万太郎はまだこの街に居るのだな」と感じることがあるのですよ。
昭和の頃、東京の繁華街といえば銀座と浅草でございました。しかし、日本中に“銀座”を名乗る商店街は数あれど、“浅草”を名乗る町は意外なほど少ないものですね。
あほまろの故郷・北海道にも、開拓時代に本州から移り住んだ人々が故郷を偲んで名付けた、小樽の「浅草橋」や「浅草寺」が存在しております。しかし、“○○銀座”は全国津々浦々にあっても、“○○浅草”はそう簡単には名乗れないのでしょう。
なぜなら浅草とは、単なる繁華街ではなく、「庶民文化そのものの象徴」だったからなのかもしれません。
全国に“浅草”を知らぬ人は、おそらく居ないでしょうね。実際、旅先で「どちらから?」と尋ねられた時、あほまろは「東京です」とは言わず、「浅草からですよ」と答えることがあります。それでもちゃんと通じてしまうのですから、浅草という名は、もはや地名を越えた“文化の固有名詞”なのでしょう。
みなさんもぜひ、万太郎の『浅草風土記』を読んでみてください。現在では「青空文庫」で無料公開されております。
『浅草風土記』は単なる昔話ではありません。
いまなお浅草に積み重なっている、“時間の地層”なのでございますよ。
そして今朝は、久保田万太郎を偲んで狂歌を添えておきましょう。
「呼び込みの 声に昭和の灯がゆれて 六区の風に万太郎棲む」(阿呆人也)
時代は変わっても、浅草という街は、ときおり昔の影をそっと見せてくれるのですからね。
浅草寺の裏広場は、表のあの賑わいがまるで幻であったかのように、観光客の喧騒も届かぬ静寂に包まれた空間でございます。
あほまろにとっては、散歩の途中にふと足を止め、心を休める大切なくつろぎの場所なのです。
今朝の日の出は午前4時44分。
今年の三社祭は、今月15日から17日ですよ。
おはようございます。野崎さんは秩父観音霊場を巡るので、開門30分前にやって来ました。
ビクトリー君もお気をつけていってらっしゃいと、お見送り。
おはようございます。今朝は開門4分前にやって来た、山本さん、金山さん、高橋さん。
子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。
奥山の奥に移動された「日本のナイチンゲール」と称される瓜生岩子像。
初夏の境内をご覧下さい。
開花した「トウネズミモチ」
イロハモミジは見事に若葉を広げ、初夏の勢いを感じさせております。
定点観察を続けているソメイヨシノの木。あほまろはこの木の幹桜がことのほか好きで、散ってもなお、その様子を見届けているのでございます。
昨年から落ちることなく、新葉にそっと覆われながら、いまだに枝にしがみついているソメイヨシノの四枚の葉。新葉の下で存在を確認できましたよ。
「散りそびれ 時の流れに 抗(あらが)いて 幹しがみつく 意地の四枚葉」(阿呆人也)
広々とした境内。見慣れた風景が消えて、寂しくなってしまいましたが、これもまた時の流れというものなのでしょうね。
こどもの日が過ぎても、境内の鯉のぼりはまだ元気に泳いでおりましたよ。ひな飾りは「当日中に仕舞わないと婚期が遅れる」などと言われますが、鯉のぼりにはそのような決まりはあるのでしょうかね。
もっとも、青空を泳ぐ鯉の姿は、少しくらい長居をしてくれても嬉しいものです。季節の名残として、もうしばらく楽しませてもらいましょう。
境内の外れには、新たに木が植えられるようです。整地されたばかりの土が、まるで「ここに新しい命を迎える準備をしていますよ」と語りかけているようにも見えました。
長年見慣れてきた木々が伐採され、広々とした景色へ変わってしまった時には、あほまろも少し寂しい気持ちになりましたが、こうして再び土が現れると、「浅草寺もまた生きているのだな」と感じてしまうのでございます。これからどんな木が根を下ろし、何十年後にどんな木陰を作ってくれるのでしょうね。
もっとも、その頃のあほまろは、「昔はこの辺り、もっと鬱蒼としてたんだよ」などと、境内の片隅で幽霊のように語っているのかもしれませんでした。
「切られたる 木々の記憶を埋めるよに 新たな苗に風が吹きゆく」(阿呆人也)
時代は移ろっても、土の匂いだけは昔と変わりませんね。
今日のあほまろは、撮り溜めた写真をダラダラと整理しながら過ごしますよ。
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夕べの睡眠は84%でした。
おはようヒロちゃん。
今朝の朝の朝食は、野菜とウインナーとゆで卵にクルミパン。デザートはイチゴ。
妻のコレクションは、ロイヤルさんと瑞風さん。
昨日のお昼の昼食は、娘と、久しぶりの上野「連玉庵」にて、平打ち蕎麦。
昨日の東京スカイツリー。
あほまろお帰りなさい。
夕べの夜の夕食の晩ご飯は、上野駅で買った。焼きサバ寿司。デザートはイチゴ。
妻のコレクションは、マドンナさんとルナちゃん。
MemoiPhone 16 ProMAX
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昨日は、娘と上野東照宮ぼたん苑の「春のぼたん祭」に行ってまいりました。
回遊形式の日本庭園に植栽された牡丹は、どれも見事に咲き誇り、春の苑内を華やかに彩っておりましたよ。春のぼたん祭では、110品種・500株もの牡丹が楽しめるとのことで、花の姿も色合いも実に豊か。親子でゆっくりと春の美しさを味わう、贅沢なひとときとなりました。
昨日の写真をご覧下さい。
MemoLeica M11P SAFARI
APO-SUMMICRON-M f2.0/35mm ASPH.
APO-SUMMICRON-M f2.0/75mm ASPH.
NOCTILUX-M f1.0/50mm
TRI-ELMAR-M f4/16-18-21mm ASPH.