今朝も寒かったけど、あほまろが帰って来たのでナナちゃんのテンションは高かったよ。

まだ散歩の時間じゃ無いのに、寝ているあほまろを強引に起こして、早く行こうよと騒いでいたのです。

一時間も早く起こされたおかげで、疲れと寝不足でこの日記を書きながら30分ほどウトウトしてしまいました。おかげで、日更新も遅れてごめんなさい。これもみんな、ナナちゃんがいけないのです。

出張中は、ナナちゃんの散歩が無いので結構遅くまで寝ていられたので楽でしたよ。この二日間は、久しぶりに午前6時まで熟睡してましたよ。

年をとると、早起きもだんだん辛くなって来るのですからね。

浅草の朝はまだ寒いけど、熊本の山の中はもっと寒く感じましたよ。昨日の朝は、霜が降りて辺り一面真っ白だったのですよ。

それに比べ、浅草は都会なので熊本の山の中より暖かいようですね。

いつも元気な自転車おじさん、この数日見かけなかったので、風邪でも引いたのかと思っていたよと、あほまろのことを心配していたんだって、ごめんなさいね。

おはようございます。ホテル雷門の大女将さんにも心配かけてごめんなさい。

元気な自転車おじさん、今朝は何度もすれ違いましたよ。

さて、今日は出張で撮った写真の整理を済ませなければいけません。ファイルを見ながら、わずか二泊三日だったのに、十日戎のことなんかすっかり忘れてしまうほど、実りのある旅でしたよ。

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早朝、菊池市の旅館を出発すると、遠くに阿蘇の山並みが姿を現しました。現在は警戒レベルが引き上げられ、近づくことが出来ないようですね。

日の出と共に霜が溶け始め、畑のあちらこちらから水蒸気が上がってきました。

あまりにも激しい水蒸気だったので、車を停めて暫し見入ってしまったほど。

日陰にはまだ霜が見えてますね。

昨日の目的地は、朝倉市秋月です。邪馬台国や古代史問題について次のような仮説を展開している安本美典氏の説によると、邪馬台国の最初の中心は、ここ甘木・朝倉にあって、後に奈良・大和地方に移って大和朝廷になったとか。

そんなワケで、以前から気になっていた所で、いちどは自分の足で歩いてみたかったところなのです。

秋月城下町は、福岡藩を統治していた黒田長政の三男黒田長興が5万石で秋月藩を成立して城下町を立て直したところで、明治時代の廃藩置県まで秋月藩として続いていたのです。

明治の廃藩置県によって秋月県が誕生して県庁所在地となりましたが、後に福岡県に統合され、今は県内の一都市となって、「筑前の小京都」と呼ばれるようになったのです。

今も城下町の姿が残り、町割り屋敷割りが田園景観と調和しいているのです。

かつての秋月城址は現在は秋月中学校になっていますが、城の周囲はそのまま残っています。堀にかかるこの通りは、瓦坂と称され、路面に瓦を立てて敷いています。写真の後ろがお城の入口でしたが、現在は石垣で閉鎖されていました。

昔から桜で有名なお城でお堀の周囲は桜並木。桜の時期には大勢の観光客が訪れるようですが、昨日は、環境客の姿はほとんど見えなかった。

この通りも、江戸期には武家屋敷が並んでいたようです。

黒門横の門跡に残る石段にも歴史を感じますね。

掘り割りに水は無く雑草が生い茂っているだけで、かつての繁栄が嘘のように静まり返っているのでした。

あちらこちらで見かけたもったいない光景。この辺のミカンは捨てるほど採れるのでしょうね。

大根を刻み天日で乾燥させています。いったい何を作っているのでしょう。

軒先の大根だけは、日本全国どこでも見かける光景ですね。

この町で、始めて出会った立派なヒゲを持った猫ちゃん。城下町らしく、猫殿様のような威厳がありました。

野鳥川に架かる「秋月眼鏡橋」。

文化7(1810)年に建造。北九州小倉から秋月を経由して九州南西部へ通じる古薩摩街道に架かる橋で、秋月藩は、長崎警護の代番を命ぜられていたため、長崎の中島川に架かる石橋を見て、ここ秋月にも石橋を架けたいと願い、家老宮崎織部が長崎の石工を招き架けられたとか。

初めは長崎橋と呼ばれていましたが、現在は眼鏡橋と称され、福岡県指定の有形文化財になっているのです。
わずか半日の秋月城下散策でしたが、土蔵の白壁や古びた格子の家々に城下町の面影を感じながら、謎にみちた卑弥呼が治めた邪馬台国のロマンに触れたひとときできたが、あほまろは、写真の整理をしながら、原稿に仕上げる仕事が残っているのですよ。

帰る途中で太宰府天満宮にも寄ってきました。

大勢の参拝客の中で、ワンちゃんを散歩させる方も数名見かけました。地元の方は、浅草寺のようなワンちゃん散歩コースになっているのでしょうね。

学業のお守り鉛筆を頂きました。あほまろが受験するはずは無いけど、知り合いのお土産には気が利いているでしょ。

昨日は成人式、ここにも振り袖姿の成人さんが大勢いらっしゃってましたね。

振り袖姿でぜんざい屋さんに並ぶ成人の娘さん。成人したなら、甘いもんは卒業じゃないの。

成人のみなさん、おめでとうございます。浅草の成人式は古麻呂が撮っているはずなので、写真の整理を終えたら掲載しますね。

早く空港に到着してしまったので、予約前の便に変更を希望したけど、どの便も満席でしたよ。おかげで、空港で3時間以上も待機しなくちゃいけなかったのに、更に搭乗便の出発も遅れて、もう嫌だぜと、ふてくされた頃にようやく出発出来ました。

こうなったら、機内食の豊後牛の炊き込みご飯を全部平らげて、飲めない焼酎のお代わりしてまで飲んじゃった。

そんなワケで、ふてくされた気持ちもおさまると、給仕のおねいちゃんたちも、べっぴんに見えていた。

いよいよ到着、疲れたけど楽しい旅の終わりです。

Memo
Nikon D810
AF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G ED
AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR
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「浅草六区ゆめまち劇場」
1月特別公演「竜小太郎 新春ゆめまち華舞台」
流し目のスナイパーが浅草に帰って来た!
竜小太郎でございます。
私は祖母から浅草が明治・大正・昭和を通して、常に日本の芝居・映画・歌・お笑い等の芸能をリードしてきた日本一の街という事をよく聞かされて育ちました。
その火が消えかかって長い年月が過ぎ、浅草の灯をもう一度という気持ちで10年ほど前から数年間、「浅草大勝館」で、竜小太郎一座として、芝居と早変わり舞踊の公演を行い、多くのお客様にお越しいただき、ご好評をいただきましたのも、記憶に新しいことです。
その大勝館もなくなり、今、浅草の街を活性化すべく新しい劇場が出来、建築途中の劇場もあります。「ゆめまち劇場」はそれら新しい劇場の先駆けとなった劇場で、今年(平成26年4月)リニュアルオープンをいたしました。
その浅草「ゆめまち劇場」に27年のお正月、私が出演させていただきます。今回は10日代わりの「お芝居と」、「小太郎十八番の男形・女形早変わり舞踊ショー」を正月2日から31日まで連日上演いたします。
多くの皆様に竜小太郎の魅力を存分にお楽しみいただき、私のふるさと浅草の街の活性化に少しでもお役にたてれば幸いです。
-演目内容-
第一部 人情芝居(演目十日替わり)(十日替わりに特別ゲスト)
第二部 歌謡バラエティショー
竜小太郎 歌の世界
第三部 早変わり男形・女形 舞踊ショー
待ってました!装いも新たにご存知 十八番! 豪華絢爛!

「浅草六区ゆめまち劇場」の詳細とチケット購入については、こちらをご覧ください。

アミューズカフェシアター「虎姫一座」

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