あっという間に忙しかった5月も終わってしまうね。最近は、時間が経つのが早いような遅いような複雑な気持ちだよ。

毎日、自分の興味あることだけに専念していると、あっという間に時間が過ぎてしまうんだけど、やりたくない仕事に追われていると時間が経つのが遅くて困ることだって有るよね。

とはいってもこの数年のあほまろ、毎日が同じ事の繰り返しじゃ、あっという間に過ぎてしまう1日、1週間、1月、気づけば1年だって・・・。そして、日々の出来事はほとんど覚えていない。

♪時の流れに身を任せ・・・一度の人生それさえ捨てることもかまわない・・・。関係無いけど、摎君って歌が上手かったね。惜しい人を亡くしたもんだ。

仲見世会館の正面、お神輿横に今年の三社祭の写真が貼られました。毎年同じ位置で撮ってる写真、前回は一昨年だったので本堂修復工事が写ってましたよね。

一年空いた三社祭でしたが、終わってしまえば空いた時間の記憶まで埋まってしまうものだよ。それが記憶の曖昧さよ。

記憶というものは変化するようですね。古い記憶も自分の都合の良いようにアレンジされて蘇るってこともあるようです。たとえば、最新の学説によれば、あの時は「誰」と一緒だったという記憶の中の「誰」を消してしまうことも出来るとか。その「誰」とは、思い出したく無い人のこと。そんな記事を目にしました。

たとえば、「学生時代に付き合っていた女性と始めて日光にデートした」とします。数十年後に、日光には行かれたことがりますかと問われた時、とっさに学生時代に一度行ったことが有りますとは答えられるけど、「誰」と一緒だった記憶だけがいつのまにか消えている。それは、思い出したく無いとの意識で、記憶というものは常に変化することがあるようです。

「人間の記憶が、自分の都合のいいように変わっていく」、そんな学説が正しいのなら、あほまろは消したい記憶がいっぱい残っているけど、悪い記憶だけは絶対に消えてくれないので困っているのですけど・・・。

それに反し、あほまろは、楽しい想い出だけはなぜすぐに忘れてしまうのでしょう。楽しすぎてあれは全部夢だったのかと、記憶を疑ってしまうこともあるんだよ。それって、きっと夢の記憶なのかも知れませんけど・・・。
夢の記憶って、夕べはこんな夢を見てしまったんだよとか、思い出しながら他人に語る最中でも、記憶に無いことも含め、なんとなく辻褄を合わせてしまうよね。でも、話し終えた瞬間に、なんとなくほんとにその夢を見たとしか思えなくなってしまうんだよ。
もしかして、夢と現実の区別が付かなくなってしまったあほまろ、精神科に相談した方が良いのかな・・・。

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