『つくづくと』
天気回復、雨もあがり暖かいくなりましたが、湿度はかなり高いようで、日が昇るに従ってムンムンしてきました。いよいよ春も終わりに近づき初夏の訪れを予感させられる、そんな朝でしたよ。
毎日、性懲りもなくというか、ここまで毎日続けている日記、もう惰性の域といっても良いのでしょう。迷惑書き込みの多かった掲示板を閉じてしまったことで、この日記に関してご意見を頂くことが出来なくなってしまいましたけど、時々、メールで感想やご意見も届くのです。中で気になるのは、「もし自分が浅草に住んでいたら・・・」、昔からそんなご意見が目立っているのです。
「カメラマンを目指す大学生です。もし、私が万が一浅草に住んでいたとしたら、あなたのように浅草寺境内はもちろんですが、歌にもなっている、春の隅田川を歩きながら季節の変化を写真に収めることでしょう・・・」
「私は、今年の夏で定年を迎えます。退職後は浅草に住む予定でマンションを物色中です。現在はネットでバーチャル浅草を楽しんでいます。貴方は、せっかく伝統文化の浅草に住んでいるのですから、浅草の行事だけじゃ無くて職人さんたちが働いている姿も紹介してもらいたいです。私が浅草に住むようになったら、愛犬との朝の散歩はもちろん、夜には、その日に出会った方々との語らいも載せる予定でいます。」
総てが、もし、もしも、住んでいたら、撮ったとしたら、愛犬がいたら、してみたい、等々。それじゃやってみたら、としか言いようが無いので、そんなメールに返事を書くことはいたしません。だって、どの方も現実味の無い仮定でしか無いのですからね。
あほまろの日記は、アクセス回数でお金儲けをしようとか、宣伝料を取ろうなんてのは全く考えていません。愛犬の散歩のついでに写真を撮り、せっかく撮っているのだからみんなにも見せてあげても良いかな、ただそれだけで続けているのです。
でもね、いくら惰性で簡単に済ませているといっても、ホームページを更新する作業って、大変な労力と時間を有するのですよ。メールいただく、もしもの方々、もしも、浅草に住んで、本当に続けることができる、そんな根性があるのかな・・・。「万が一」、もしもが叶って浅草で暮らすようになられましたら、参考にさせていただきたいと思います。でも、昔から同じようなメールを頂くのですが、誰ひとり、実現された方は居ないようですけどね。あほまろの写真を盗作し、あたかも自分で撮っているかのような似非ホームページはあるようですけどね。
「万が一」とは、悪い事態を仮定するときに使われ、実現性がゼロに近いものを仮定していうときに用いる言葉。ただし、実現性がゼロのものを仮定するときには使えないんですよ。
テプコ浅草館で、江戸庶民の暮らしを再現「檜細工師三浦宏 匠の技」展が開催されております。詳細は、こちら。
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