京都新聞(2月9日朝刊)によると、
「大正から昭和初期にかけて京都で活躍した謎の画家で、近年、絵はがきや絵封筒に描かれたアール・デコ風の叙情的な作風が人気を集める小林かいちの遺族が9日までに、見つかった。かいちの二男で京都府長岡京市今里の無職小林嘉寿さん(63)。かいちの展覧会が京都精華大で開かれているのを、京都新聞を読んだ知人を通じて知り、同姓同名の「小林嘉一」の名で仕事をしていた父の遺品を調べた結果、父が制作した木版画のサインが、かいちの絵封筒に書かれているサインと一致。また、20歳ごろの父の写真に、かいちが関東大震災前後の若き日に使用した雅号「うたぢ」と同じ、「う多路」や「Utaji」の記名もあった」
弥生美術館で開催されている「小林かいち展」で学芸員の石川氏が発表された、「京都図案家銘鑑」には「小林歌治」の名、やはり竹久夢二ら同時代の叙情画家「小林かいち」だったのですね。本名は、小林嘉一郎さんといって、1896年生まれ。三男一女を育て1968年に72歳でお亡くなりになられたそうです。これで、絵ハガキや絵封筒で人気を馳せた謎の画家の正体が判明し、今後の日本近代美術史研究の流れも大きく変わることでしょうね。
以下は、あほまろが所蔵する「小林かいち」の絵ハガキの一部です。外にも小林かいち作と思われる絵封筒もいっぱい集めていますよ。

小林かいちの作品のほとんどが、女性がうつむいてたたずむ姿を描いているのです。

モダンでハイカラな「京都アール・デコ」スタイルを確立したのは、小林かいちではなかったのでしょうかね。
