『今朝の浅草』
今にも降りそうな空模様、急いで散歩を済ませてきました。でも、途中でちょっとぱらついたかな。こんな日は、モモちゃんも歩くのが早い早い。
そんな朝なのに、弁天山の公園の滑り台の上で、我々が側を通っても気付かないほど気持ちよさそうに寝ている方がいますよ。この公園は日当たりも良く、暖かい日中はホームレスのたまり場にもなっているのです。この時期、ホームレスだって汚れた衣類などを、お天道さまの力で蘇らせたいのは解りますが、せっかくの公園なのに子ども達が近寄れない雰囲気になってしまうのですよ。
「日照権の日」なんて記念日があったのですね。昭和47年の今日、最高裁が日照権を法的に保護する権利として認める判決が下されたのを記念した日です。この「日照権」とは、「日照を受けることによってもたらされる諸々の利益のうち法律上保護されるべきものを意味する」と解されています。最近の中高層マンションの建築が増加するのに伴ってこの問題による扮装が激増し、「新日影規制」が新設されて公法上も日照につき一定の保護が図られるようになりました。
あほまろが住んでいるマンションが建つ前、近隣の住民によって「日照権」で、反対運動も有ったそうです。この辺も、つい10年ほど前までは二階建ての民家が多かった地区ですが、表通り(雷門通)に面したところから高層化が始まり、その裏側に住む連中も日照を確保しようと、つぎつぎと自宅を高層化していったのです。結果、強者は弱者を廃するがごとく「日照権」なんてのは存在しない街と化してしまったのです。
住民が平等に「日照権」を確保できる理想の街並みといえば、江戸時代のように建物は二階建てまで、そしてみんなが大きな庭を有することなのでしょう。でも、今の東京でそんな街並みを望むことは出来ませんね。
ヨーロッパでは、街並みは行政が守っているので、家を建てるには一定の条件を守らないと建てることが出来ないのです。もちろん、建てた後の改築や増築時も同様に厳しい基準をクリアしなければならないのです。
昔、ドイツのニュールンベルグに住んで居いたあほまろの友人が家を新築したことがありました。彼は、日本の大工に設計を依頼し、木造の日本建築を建てたかったのですが、その許可が下りるまで何度もやり直し、2年の歳月を費やして最終的には、“どこが日本建築なの”って家になってしまったのです。日本の民家では当たり前の一階と二階の間に張りだした屋根はだめ、二階の窓も周りの雰囲気に合わせた出窓にしなければいけない、等々。そんな規定も、住民みんなで「日照権」を持った生活圏を共有するために守られているのでしょうね。
それはドイツのお話。東京都心で隣のマンション建設で日陰になった場合、泣き寝入りをする人達、きっと多いのでしょうね。高層マンションに住んでいるあほまろは充分な日照を頂いているのですが、同じマンションでも下層階に住む人は、隣接して建てられたマンションのおかげで日照が無くなってしまったと、文句を言ってましたよ。
「日照権」を確保するには、「日照被害の程度が、社会生活上、我慢すべき程度を超えていること」が確認出来ると、法的処置がとれるそうです。そうなったら、同じマンション内での争いなんてのもあり得るかもね・・・。
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『今朝の雷門』
最近は、携帯電電話のカメラで自分撮りをしている方が多いですね。二人仲良く寄り添う真ん中に雷門の大提灯なんてのも確認しながら撮ることが出来るのですから。
“すみません、シャッターを押して頂けませんか”、浅草に住んで8年目、最初の頃は毎日のようにそんなお願いをされたのでしたが、最近はほとんど有りません。理由は、携帯電話とデジカメの普及によって自分で撮れるようになったからなのでしょうね。

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『今朝の一写』
「日照権」といえば、お隣の建物が無くなって急に日当たりが良くなった家も有るでしょう。日当たりが良くなったら、みなさん布団やシーツの空乾しをしますよね。今朝は雨が降りそうなお天気なので、洗濯物を仕舞っているのかと思ったら、ベランダにシーツを広げ、今から干している方がいます。人事ながら気になってしまいます。この後すぐに小雨が降ってきたんですよ。
写真を撮っている場所は、元、浅草寺の資材置き場の建物が建っていた場所。汚い二階建ての小屋と、資材がいっぱいだったのです。それが、昨年からこのように駐車場として整備されたおかげで、隣接する家々も日当たりが良くなったことでしょうね。

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『今朝の境内』
浅草神社の桜は、実が終わると葉は虫によって無数に穴が開けられてきました。このように桜の木は、実は鳥のエサになり、葉は虫のエサになるのです。そして枯れて落ちると、堆積した落ち葉は土のエサになって再び桜の肥やしとして蘇る。それが自然なのですけど、都会の桜は時々根元に人工の肥料を入れてあげないと枯れてしまうそうです。自然のようでも、今となっては、箱庭の植木なのですね。

浅草神社正面。

茅の輪
「神田」の定点観測。大きくなってきましたね。

弁天山の梅の実。まだ固いようです。
銀杏の葉は、緑一色の盛りが過ぎるとこのように葉の周りの色が黄色く変色していくのです。いわゆる夏銀杏ですね。これが全体に行き渡ると秋の黄色になるのですよ。

「生活の柄」、山之口漠作詞、高田渡作曲
歩き 疲れては 草にうもれて 寝たのです 歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです そんな僕の 生活の柄が 夏向きなのでしょうか・・・
浅草の五重塔通りを歩くと、いつもこの歌を口ずさんでいるのです。この通り、あほまろには、そんな空間に見えているのです。
暖かい夏は毎朝このように寝れますが・・・秋は 秋は 浮浪者のままでは 眠れない 秋は 秋からは 浮浪者のままでは 眠れない・・・
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浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
我が三遊亭圓歌師、昨日をもって落語協会の会長を勇退し、落語協会最高顧問に就任いたしました。新会長は、副会長だった鈴々舎馬風師。柳家小さん門下で、1973年に真打ち昇進、76年に十代目鈴々舎馬風を襲名した方です。
昨夜は、親しい仲間で師匠のお疲れさま会を開催したのですが、カメラを忘れてしまったので、携帯電話の質の悪い写真になってしまいました。
5期10年間会長の任務を全うした安堵感で、奥様と一緒に微笑む圓歌師匠です。こんなツーショット、かなり珍しい写真なのに残念。
何はともあれ、師匠、10年間お疲れさまでした。次は、いよいよ「人間国宝」が待ってますね。

上野の「伊豆栄」に集まった仲間全員で記念撮影。当然、あほまろは写ってませんけどね。
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