『今朝の浅草』
台風1号が週末日本にも影響を与えるようです。台風は現在、香港の南南東約400キロにあって北に進んでいます。中心気圧は945ヘクトパスカル、とかなり大型で、今後勢力を弱めながらも進路を北北東に変え、土曜日の夜には温帯低気圧となって九州の西に達するようですが、その影響で東京は金曜日から土曜日にかけて大雨との予報が出されています。雨は日曜日まで残るそうです。
待ちに待った三社祭も、今年は雨の中での開催となってしまうようです。でもね、モモちゃんの散歩と同様、どんな状況であっても止めることは出来ないのです。何をって、みんなに期待されている三社祭の写真を撮るってことをですよ。こうなったら、ずぶ濡れになりながら撮ってやるぞ。そのためには予備のカメラを用意しておかなくっちゃいけないのかな・・・。
今朝の浅草、とっても暖かく感じるのです。時々吹き付ける風も生暖かく、これって台風の影響なのでしょうか。寒いのよりは良いとしても、三社祭を二日前にしてちょっと不気味な雰囲気も感じてしまうのです。“無事にお祭りが終えられますように”、いつもよりも多くの堂宇をお参りするあほまろとモモちゃんでした。
「宝蔵門」の修復工事の許可証が貼られました。それによると、今回の修復工事が終了するのは、来年の6月末日ですよ。来年の三社祭中もまだ工事が行われているってことなのですね。どうしてこんなに長い時間がかかるのでしょう。米軍の空襲で焼かれ、新しい宝蔵門が建てられたのが、昭和39年。ホテルニューオータニ創始者、大谷米太郎夫妻より総工費一億五千万円の寄進を受け、およそ1年の工期を経て、鉄骨鉄筋コンクリート造で完成したのです。内部には、
国宝の法華経や、神仏分離で処分されそうになった鶴岡八幡宮の元版大蔵径が納められているので、「宝蔵門」と呼ばれているのです。
それを修復するのに14ヶ月も・・・? 何ででしょうね。今回の修復作業といっても、鉄筋コンクリートなので、汚れた外壁の清掃と瓦の張り替え程度じゃ無かったのでしょうか。まさか、全部バラして組み直すってことはないでしょうね。
「宝蔵門」が終わると、次は浅草寺本堂も修復工事を行うそうです。ここ数年、浅草寺周辺がテントで覆われてしまうのでしょうね。

モモちゃんのお隣に写った弁天山の石は、文政13年に箏(しょうと読むがお琴のこと)の名手であった山田検校が寄進したものです。
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『今朝の雷門』
昨日を同じアングルの写真ですが、一箇所変わったところにお気付きでしょうか。そう、雷門の正面に二本の柱が立てられたのです。この柱の間には注連縄が渡され、ここを通る御神輿を清める柱なのです。
三社祭まで、あと三日と迫ってくると、みんなの頭の中は祭のことでいっぱいになっているのですが、ここに来て耳にするのは台風の話題一色です。普段の日に台風が来ることになっても、これまで話題にはならないでしょう。これも三社祭の天候を心配してのことなのですね。
天気予報をするお姉さんも、“大雨に成るでしょう”、なんて断言しないで、“三社祭なので、雨が降らないで欲しいのですが・・・”、とか。ちょっとは気を使ってくださいよ。日本一のお祭りなのですから。それだけでも、気分的に余裕が持てるのですよ。

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『今朝の一写』
弁天山の頂上を守る狛犬ですが、これを狛犬と呼んで良いのでしょうかね。とりあえず、慣例に従ってこちらの左側は口を噤んでの「ん」。

右側は口を開いての「あ」。両方合わせて「阿吽(あうん)」の態勢には成っているのですが、顔はどうみても狛犬というよりも鬼ですよね。とってもひょうきんな顔なので、あほまろが好きな狛犬の一つでもあるのです。
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『今朝の境内』
こちらは鐘楼です。このお堂も空襲で焼けてしまったのですが、鐘と土台は江戸時代からのままで残っています。
こちらの絵葉書は、大正3年頃の弁天山ですが、土台の石がそのままであるのが解りますね。また、鐘楼の柱は今よりも太かったんですね。屋根が立派なので今よりも重かったのでしょう。
弁天山の案内看板
時の鐘(浅草寺)
鐘の大きさは, 高さ2.12メートル, 直径1.52メートル。
鐘銘によれば, 撰文は浅草寺別当権僧正宣存で, 元禄5年(1692)8月, 5代將軍徳川綱吉の命により, 深川住の 太田近江大掾藤原正次が改鋳し,
その費用として下総(現 千葉県)関宿藩主牧野備後守成貞が黄金二百両を寄進した。
この鐘は, 時の鐘として, あるいは浅草寺の梵鐘として, さまざまな文学作品にも登場している。
昭和20年3月の東京大空襲で火を浴びたが無事に残り, 今なお昔のままの姿を見せている。 なお, 鐘楼は同空襲で焼 け落ち, 昭和25年5月再建されたものである。
平成11年3月 台東区教育委員会
三社祭で屋台を出す露天商の線引きです。今年は宝蔵門の修復工事によって出店の位置がズレたようですね。昨年の同じ時期の写真と見比べると、左側の白線はちょうど路肩の石の上になっていました。

浅草神社の神輿蔵の両側に酒樽が積まれました。毎朝扉を開けて中の御神輿を見せているのですが、最近は散歩の時間が早すぎるので見ることができません。でも、もうすぐ嫌では無いのですが、嫌というほど見られるのですから。

鎮護堂の柵越しに見る伝法院のお庭です。鎮護堂内に、お庭を見るための見物台なんてのを造って欲しいですね。いつも写真を撮るのに苦労するのですよ。

浅草観音温泉の壁を飾る蔦の葉も新緑で覆われました。この蔦、どんどんお隣のビルにも侵略して来たようです。そのうちに二つ伸びるが蔦で覆われてしまうのでしょうね。

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浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
あほまろの町会は、雷門西部町会です。三社祭の時は、我が家のマンションのお隣に神酒所が設置され、寄付の寄進を張り出すパネルが設置されるのですが、今年は例年よりもパネルが大きいようです。これは例年を大きく上回る寄進の予定でもあるのでしょうか。それとも、希望なのでしょうか。
あほまろも住民として毎年寄付を持っていっていたのですが、役員の方と顔見知りじゃ無いので、とっても素っ気なく受け取られてしまいます。お隣の町会にも持って行くと、ま〜ビールでもなんて声もかかるのですけどね・・・。そんなことで、何の御利益も無い寄付は今年から止めることにしますよ。従って、ここにあほまろの名前は記載されないのです。

我が町会の奉納提灯は雷門に面した場所に飾られます。が・・・、僅か12個だけで寂しい限りです。とりあえず、ここに有るという証拠だけでも。
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